アドラー心理学の「人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません」を考察

アドラー心理学の「嫌われる勇気」を読み返しています。

 

実はもう読み返すのは三度目か四度目になりますが、いまだに内容をかみ砕いて理解出来ていない。いや、理解できていないというよりは考え方を実践するのは型を体得するようなもので難しい。

そして同時に自分の状況と照らし合わせ納得する必要もあってなかなか進まないのです。本の中で哲人と青年が議論しあったように、自分に問いかけながらこつこつ考える必要があります。

 

で、せっかくなので、自分にどう問いかけて行くのか書いてみようかなと思いまして。

まずは、以下の哲人一節について

人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。

過去にどんなことがあったかなど「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど、「いま、ここ」で考える問題ではない。

 人生は点と点の結びつきだと、かのスティーブ・ジョブズも言っていましたが、

わたし自身も振り返ると心当たる部分があります。わたしは過去に音楽の道を進んだ経験がありましたが、いまは全く別のことを生業にしています。しかし何屋かといわれると、かなり曖昧な状況にあります。

そして以前は、「自分はこうでなければならない」という強い執着がありました。その時から比べて考えてみるといまの自分の状況や気持ちの持ちようは説明するのがとても難しいくらい変化しています。

 

事実として言えるのは「ただその時々に行動と選択があった。」です。

その行動と選択には過去の経験やその時点での状況は少なからず影響しましたが、結局は「アドラーの言葉のいう理想の状態を追及すること」が動機となっていました。

つまりその時々で「優越性の追及」を行ってきたと言う事になります。

いまの状況がひとつのストーリーに沿って説明できないと言う事は理想の状況はその時々で変わってしまっていたと言う事だと思います。

 

そう考えると人生が少しシンプルに思えて、今を大切にしようと思えるのでした。

実はわたしもあなたもすでに大きな船を持っていて、ただ「航海に出ることを恐れている」のかもしれません。